森町想いの和菓子職人

元サラリーマンの和菓子職人

砂原地区の一角に店を構える和菓子店「きのした菓子舗」。店の中に入ると森町で知らない人はいない「昆布最中」や、花をかたどった色鮮やかな生菓子など様々な和菓子が迎えてくれます。その奥にある作業場でインタビューに応えてくれた2代目店主の木下信さんは、元サラリーマンという異色の経歴を持った和菓子職人です。

「私、脱サラなんですよ。」

きのした菓子舗は、七福堂で和菓子職人として働いていた木下さんのお父様が始めたお店で、木下さんのお兄様が跡を継ぐ予定でした。そのため木下さん自身は高校を卒業後に地元の企業に就職し、介護関連のお仕事をされていました。 

 「店のを跡を継ぐつもりなんて全然なかったから、製菓の専門学校にも行っていないし、修行にも出ていないんです。だから親父にも、今からやっても遅いと言われました。」 

製菓の専門学校を卒業し、余所のお店で何年か修行をして跡を継ぐのが一般的な和菓子の世界において、専門学校にも行かず修行にも行っていない木下さんが、お父様のもとで和菓子職人への道を歩み始めたのは30歳の時でした。 

 「親父との修行の期間がすごい大変だったね。結構、親父ともぶつかったしね。親父の下で修行すると決まった時に、親子関係でやっていたら続かないと思ったので、仕事に入る時は気持ちを切り替えるようにしていました。俺は弟子で親父は師匠なんだと。とにかく文句つけられても、ハイって素直に聞いていました。だんだんと仕事を覚えてきた時には、歯向ったりもしましたけどね(笑)」 

修行が始まってから約10年後、お父様が七福堂で仕事をすることになり、木下さんはきのした菓子舗を任されることになりました。昔ながらの職人気質なお父様は、決して木下さんのことを誉めたりすることはなかったそうですが、ある時自分のことを認めてくれたのかなと感じることがあったそうです。

「何の時かは覚えていないんだけど、誰かに俺のことを褒めていたのを聞いたんだよね。それを聞いた時、俺のことを認めてくれたのかなって思いました。未だに、いろいろ文句を言ってくるんだけどね(笑)」


 森町をアピールするお菓子を作りたい 

一人前の和菓子職人となった木下さんは、森町をアピールできるお菓子を作ろうと新たなお菓子作りを始めますが、一筋縄ではいかなかったとのこと。

「俺は俺なりに森町の物を使って、森町をアピールできるようなお菓子を作っていきたいと思って、いろいろ見て歩いて作ってみるんだけど、自分の思った通りにうまくいかなかったこともありました。」 

なんと木下さん、イカ飯のお菓子を作ったことがあるんだそうです。

 「お菓子でイカ飯を作ってくれって言われて、試作品を作ったこともありました。イカ飯に見えるように焼き菓子の表面を羊羹でコーティングしたり、マルモ食品さんに協力してもらって真空パックにしてもらったり。出来はすごく良かったんだけど、なにせ手間がかかるもんだから、販売には至りませんでした。お遊びで作るんだったら良いんだけどね。」


 親から子、子から孫へ

普通とは違う経歴で苦労しながらも、ご実家の跡を継ぎ和菓子職人となった木下さん。実は息子さんが和菓子職人になるべく現在修行中とのこと。 「山形に和菓子を一生懸命にやっているお菓子屋があるので、そこに修行に行っています。修行に行く前は製菓の学校に行っていました。自分ができなかったことを息子にしてもらってるって感じです。」


現在では七福堂の店主も務める木下さん。伝統の味を守りながら、森町をアピールする新たなお菓子作りの探求は続きます。

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